絹川代表 石川の文化人と語る
坂口 國男さん 洋画家
−見る者の心を魅了する、流動的な色彩のフィルム−
「東京から金沢へ」
絹川 ● 坂口さんが油絵を描き始めたきっかけは何だったのでしょうか?

坂口 ● 中学校の先生が油絵を描いていたので、影響されました。体質的にも、こってりとした油絵は合っていると思います。子供の頃から絵は好きでしたし得意でした。いとこから聞いた話ですが、私は小さい頃から「将来は物乞いになっても絵描きになるんだ」と言っていたそうです。
絹川 ● 東京のご出身と伺いましたが、金沢へはどんなご縁があって来られたのですか?
坂口 ● 「金沢美術工芸大学の先生として来ないか」と誘われたことがきっかけでした。それまでは、東京の女子美大で非常勤講師をしていました。美大の教授は3年前に退官しましたが、金沢に暮らしはじめてもう20年程になります。
絹川 ● 実際に住んでみて、金沢の印象はいかがですか?
坂口 ● 知り合いもなくこちらに来ましたので、はじめは戸惑いました。しかし、日本酒が美味しいこと、食べ物が新鮮なことに気づいてからは嬉しくなりました。今でも東京から金沢に戻るたび、街が好きだと思います。金沢のおもてなしの心が好きです。しかし、いまだによそ者を受け入れないもどかしさを、感じることがあります。
絹川 ● 坂口さんは、一時代を築いた「藜の会」のメンバーにも参加されていますね。
坂口 ● フランスへ留学しているときに、在パリ外国人留学生展グランプリ賞を頂きました。それを知った芸大の先輩が声をかけてくれ、藜の会に、第3回目から出展するようになり、20年程活動していました。

「赤の背景の花」

「静寂の花」

「花」
「充実していた留学生時代」
絹川 ● フランスへ留学されたのは、いつ頃でしょうか?
坂口 ● 1970年に、フランス政府給費留学生として渡仏しました。当時、私は東京芸術大学で助手をしていたのですが、留学のことを相談した先生から「早く行った方がいい」と後押しされて、フランス政府給費留学試験を受けました。私が渡仏したときは、パリの美術学校で大学紛争があり、現地に着いて4ヶ月も経たないうちに、パリ国立高等美術学校から南フランスのマルセイユ・リュミニィ建築美術学校へ行くことになり、パリに戻って来れたのは、10ヶ月も後のことでした。
絹川 ● パリでの生活はいかがでしたか?
坂口 ● パリは混沌としながら美しい街で、とても刺激的でした。留学していたときに借りていた部屋は、ピカソやモジリアーニらがよく集っていた、有名なモンパルナスのラスパイユ通りにあるカフェの6階屋根裏部屋でした。当時は、この先画家として生きていくことに不安を抱えていた時期でもありました。留学生時代のエピソードとして、カフェに有名な画家の萩須高徳先生が座っており、ご挨拶をしたら「東京から来たの?頑張って」と言われたことを思い出します。生活に余裕はありませんでしたが、同じ絵を志す仲間たちと刺激し合い、精神的には充実した日々を送りました。
絹川 ● 何にも変え難い、素晴らしい経験をされたと思います。

「色彩が形を作る」
絹川 ● 坂口さんの作品はとても色彩が豊かですよね。色の中でも、特に赤が印象的です。
坂口 ● たくさんの色彩を使って制作をしていますが、中でも一番好きな色は赤です。学生の頃は仲間たちに「坂口レッド」と呼ばれていました。特に赤にこだわっているわけではありませんが、赤には特別な思い入れがありますね。
絹川 ● 最近はどんな絵を描かれてていますか?
坂口 ● 花とベネチアが多いです。花は、多くの色彩を使うことができます。ベニスは、夏のベニスが好きです。カラッとした気候と建物が絵になります。
絹川 ● 絵の制作にとりかかる前に、必ず行うことはありますか?
坂口 ● 絵を描くときは、アトリエに入って瞑想をしたり、暫く音楽を聴いたりしています。イメージができたらキャンバスに色を散りばめてフォルム(形)を作っていきます。
絹川 ● 坂口さんが絵を描くときに大切にしていること何でしょうか?
坂口 ● 私は形より色彩を大切にしています。人と同じ絵は描きたくありません。私にとって絵は心です。花を描いていても、描いているものは現実にある花ではなく、キャンバスにしか咲かない花です。色彩を散りばめていくうちに、その色が形を成し、花になっていくというのが、私の絵画の世界です。色彩を花に託して、たくさんの色彩を使える喜びを感謝しながら表現しています。
絹川 ● 色彩を大切にしている坂口さんにとって、色とはどんな存在でしょうか?

絹川 ● 今後の抱負などありましたら、教えて下さい。
坂口 ● 今は、時間をかけてゆっくり絵の制作をするつもりです。今後も、自分の好きな色を使って自由に絵を描いていきたいと思っています。
