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絹川グループ
トップ絹川代表 石川の文化人と語る>2007年8月 中出那智子さん
 

絹川代表 石川の文化人と語る

中出 那智子さん 洋画家 

聞き手●絹川グループ代表取締役社長 絹川善信

自然と愛がテーマ

−思いがつながる、人生の旅−

「父の想いを受け継いで」

絹川 ● 中出さんが絵を描くきっかけは何だったのでしょうか?

中出 ● ある日、父が東京から日記帳を買って来てくれました。言葉の少ない人だったので、ただ黙って買って来た帳面を私の目の前に置くだけだったんです。でも、私はものすごく愛情を感じて、なんとかそれに応えたいと思い絵日記を描くようになりました。それが絵を描くきっかけになりました。

絹川 ● 画家になろうと思ったのは何故でしょうか?

中出 ● 私が画家になったのは、父に憧れたからです。私にとって、父は一番最初に芸術家として姿を見せてくれた人でした。父は院展(日本美術院が主催する展覧会)に属している研究生でしたが、結核を患ったために、お医者様から「あなたは彫刻の仕事をすると死んでしまいますよ」と言われ、彫刻をやめて転地療養として伊豆大島へ渡りました。それでも、彫刻に立ち向かおうとした芸術家らしい父の生きざまを見て、私は胸を打たれ、自分が絵描きになって育って行けば父も喜ぶのではないだろうかと思いました。

絹川 ● 中出さんは宮本三郎先生とも交流があったようですね。

「バイアーナの踊り」

中出 ● 父が宮本先生と交流がありまして、私が赤ちゃんの頃からお世話になっていました。「これが宮本三郎先生だ」とわかったのは、自分が23歳のときでした。私は伊豆大島だけに留まっているのが嫌だったので、7歳の頃に描いた絵日記帳を、ワラにもすがる思いで宮本先生に見せたんです。それを見た宮本先生が驚いて、「君、二紀展に出しなさい。これだけ描ければできるから」とおっしゃってくれました。もし、宮本先生と出会っていなければ、自分が絵描きになっていたかどうかは分かりません。

絹川 ● 日記帳の絵にはとても生命力がありますね。これだけ動きのある絵はなかなか描けないと思います。

中出 ● 宮本先生からは、絵日記を見て頂いたときに『天衣無縫』と言う言葉を頂きました。宮本先生の言葉や見て下さる仕草からどれだけ励まされたか分かりません。その後、二紀展の同人になり、宮本先生にはとても可愛がって頂きました。

「ペルーの少女」

絹川 ● 中出さんは宮本先生のお弟子さんにもなっているそうですね。

中出 ● 三十年程前、当時私が住んでいたブラジルまで、宮本先生の訃報が届きました。帰国後、宮本先生のご自宅へ行き、『これから宮本先生の弟子を名乗ってもいいですか?』と奥様に尋ねると、奥様は『もちろんよ』と言って下さり、それから二人で墓参へ行きました。宮本先生には、自分が帰国したご挨拶と、奥様に宮本先生のお弟子さんとして認めてもらえたことを報告しました。

絹川 ● 円満にお話ができて良かったですね。中出さんだったからこそ、奥様も弟子になることを快く了解してくれたのだと思います。

中出 ● 宮本先生の弟子というのは、生涯自分の誇りです。そして、宮本先生の弟子という誇りが、自分にいかなる逆境も乗り越える力を与えてくれたと思います。

「チャランゴの夢」

絹川 ● 今も二紀会のほうで頑張っていらっしゃるのですか?

中出 ● 宮本先生が亡くなられた後に、二紀会から突然脱会通知が届き、それ以来はどこにも属していません。女一人で画業をやっていくのはとても大変でしたが、私は無所属だったから自由に羽ばたけて、認めてもらえたと思っています。二紀会を脱会してからは、自分の個展に力を注いできました。

絹川 ● それは大変なご苦労があったと思います。今後の活動など、決まっているものがあれば教えて下さい。

中出 ● 今年は、東京上野の松坂屋で個展があり、来年は伊勢丹で二十回展や、一月には六本木の新美術館で『月への願い』という作品の展示が決まっているので、とても楽しみにしています。

「ブラジルで開花した絵」

絹川 ● 中出さんはブラジルで暮らされていたこともあるそうですが、ブラジルに渡ったきっかけは何だったのでしょうか?

中出 ● 主人の芸大時代の友人が、『ブラジルの百人の芸術村』があるところに居たんです。その人から主人宛に一通のハガキが届いて、『おい中出、ここはおまえにぴったりだぞ、来ないか?』って書いてあったんですよ。それで、主人は即座にブラジルへ飛びました。でも、旅行費が一人分しかなかったので私は行けなかったんです。私は、なんとか旅費を作らないといけないと思い、芸術村のオーナーに『あなたたち百人の開拓精神溢れる生きざまに感動します。もし、中出那智子が芸術村に行ったなら百人の農場の方に絵を教えます。主人は百人のコーラスを教えます。』というような内容のラブレターを送りました。すると、しばらくして向うから飛行機の切符を送ってくれましてね。私もすぐにブラジルへ飛びました。

絹川 ● ブラジルでの画家生活はどうでしたか?

中出 ● ブラジルでは暗い日がなくて、毎日がすごく楽しかっです。ブラジルに渡って、すぐに賞を取り、それからは毎年賞をもらいました。サンパウロ美術館には『水汲み女』という作品も収蔵されています。

絹川 ● サンパウロ美術館にコレクションされるとは素晴らしいです。大変名誉なことですね。

中出 ● サンパウロ美術館のバルジ館長という方が、私のマチエールをとても気に入ってくれたんです。マチエールは、ブラジルの民家の壁を塗るときに使う筆で描いた技法です。自分のマチエールが、ブラジルで産まれた作品として、認めてもらえたことがとても嬉しかったです。

絹川 ● ブラジルの生活を経て、中出さんが一番得たものとは何ですか?

中出 ● やはり、一番はマチエールという技法を身に付けたことです。ブラジルは太陽がものすごく強いので、弱い絵を描いていたら太陽に負けてしまいます。それなら、ブラジルの太陽に敵うような絵を描こうと思って、辿り着いたのがマチエールです。パワーのあるマチエールと出会って、私の絵が開花したんです。ブラジルからは本当に夢をもらったと思っています。ボストンバック一つくらいの荷物にTシャツとズボン、おこづかいも三万円しか持っていかなかった私に、よくぞ絵を描かせてくれた、よくぞ私を受け入れてくれたという感謝の気持ちがあります。ブラジルで十三年間過ごしたあとは、絵を売ったお金を貯めてイタリアで一年間生活しました。そんなロマンティックなことは日本ではできないと思います。

「モチーフに架ける夢」

絹川 ● よく描かれるモチーフは何でしょうか?

中出 ● ペルーやブラジルなどで出会った美しい少女たちや動物が多いです。少女と動物は世の中で一番美しいものだと感じます。ペルーでは、決して裕福ではないけれど生きることに真摯な人々や、文化に侵されていない牧歌的な暮らし、自然に溶け込んだ生活に感動を受けました。ブラジルでは、古都サルバドールのバイアーナという踊り子たちの、大地から湧き出たような逞しさと、太陽のように快活な少女たちにとても魅力を感じました。私は、この地球上の自然環境の中で生きる人間と動物が、一体になって生きていくユートピアを夢に見ているので、それが絵となって現れるのだと思います。

絹川 ● 最後になりましたが、今後の抱負や夢などがあれば教えて下さい。

中出 ● 鷺の絵を描いてみたいです。というもの、二十三年前、農薬で病気になった鷺のヒナを助けたことがあるんです。近くの竹薮の巣からヒナが次々と落っこちてきたので、全部で七十羽ほどのヒナを拾い、一羽ずつ別々の段ボールに入れて大きくなるまで育てました。助かったのは半分でしたが、元気になった鷺たちがインドのほうへ渡って行くときに、みんなが集合して私の家までお別れの挨拶をしに来てくれたんです。鳥の大きな鳴き声がして、何事かと思って外へ出て見ていると、私にサヨナラを言うために、鷺たちが何回も何回も屋根の上を旋回していました。落日後、鷺の白い羽が神秘的な白銀の輝きを放ちながら、夜空を群舞している姿にはとても感動しました。その光景があまりにも素敵だったので、できることなら、最後にはその風景を描いてみたいと思っています。

「月への願い」

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