絹川代表 石川の文化人と語る
松田 弘さん 金沢和傘職人
「ありがとう」の一言、お客さんの喜ぶ顔が好き
「不合理の中にある和傘の美」
絹川 ● 和傘作りは分業で行うものですが、松田さんは一人で和傘を作っておられると伺いました。どういうきっかけで、この道に入られたのですか?
松田 ● 金沢和傘職人の父から、「学校に行かずに和傘職人になれ」と言われ、小学校を卒業してからこの道に入ったことがきっかけです。本来、和傘作りは分業ですが、父が「跡取りだから」と言って、骨組み職人、紙はり職人、仕上げ職人の下につけて何でも覚えさせられました。おかげで、一人でも和傘を作れるようになりました。
絹川 ● 今は分業する職人さんも少なくなって、和傘を作るお店もほとんど見かけなくなりましたね。
松田 ● 昔は金沢に製造業組合と商工組合と二つの組合があり、傘作りも盛んでした。しかし、昭和30〜40年代の経済成長のときに、洋傘や雨具、自動車やオートバイが流行ってくると、たちまち和傘が売れなくなったんです。店を出していた父の弟子たちも廃業するしかなくなり、「お前の親父に教わってきたことは何も役に立たなかった」と言われたこともあります。明治、大正時代には金沢に100軒以上あった傘屋も、今ではうちの一軒だけです。
絹川 ● 松田さんは、傘屋を辞めようと思ったことはないですか?
松田 ● 昭和40年頃までは商売が上手く行かなくて、店をたたもうかと考えていました。ある日、イギリスの方が店に来られたときに、「傘が全然売れないので辞めようと思うんです」と言ったら、とても怒られましてね。「これは東洋の文化だ。あなたが一生涯続けなさい」と言われ、びっくりしました。そう言ってもらえるんだったら、もう一度やってみようと思い、今日まで細々と続けてきました。
絹川 ● 和傘が一番売れた時代はいつですか?
松田 ● 兵隊から帰ってきて、7、8年間が一番忙しかったです。戦後は、和傘以外に雨具がなかったのでよく売れました。しかし、生活が豊かになってくると、傘は全然売れなくなりました。そのかわり、居酒屋やおでんやが出てきて、祭りごとが盛んになってくると、今度は提灯が売れるようになりました。だから、自分もずっと提灯を作って売っていましたね。捨てる神あれば、拾う神ありというか、人生って上手いことできているなぁと思いました。生活のほとんどは提灯で食べてきたようなものです。

何色もの糸で編み上げていく美しい千鳥がけ
絹川 ● 松田さんはお弟子さんをとっていないと伺いましたが、なぜでしょうか?
松田 ● 父の弟子たちのことを見てから、弟子はとらないでおこうと決めていました。傘屋がいい商売だったら、そんなに難しい仕事ではないので、息子に継がせてもいいと思っていました。しかし、和傘は生産性が低いので、今の時代と合いません。和傘は、材料費に半分ほどお金がかかります。一ヶ月に20本ほどしか作れないので、贅沢はできない商売です。
絹川 ● 洋傘と比べて、和傘のいいところはどこでしょうか?
松田 ● 元々、和傘はお侍やお坊さんなどの位の高い人が、自分たちの目印として使い始めました。つまり、和傘は洋傘と比べて合理的・実用的なものではありません。その不合理さを承知した上で、和傘を作り続けて来ました。機械では生み出せない和傘の美しさには、役者さんや女性を引き立てる魅力があります。傘を差す人が華やかに見えれば、作っていてこんなに楽しいことありません。傘を差す人が美しく、晴れやかな気持ちになるところが、和傘のいいとろだと思います。
「昔ながらの知恵」

天気がいい日は、店先で糊付けをしながら天日干しをする
絹川 ● 紙はどこで作られたものを使っているのですか?
松田 ● 紙は父の代から富山の五箇山ですいたものを使っています。傘紙作りは包装紙と違ってとても難しいです。千枚なら千枚、すかしてみて美しい紙でないと駄目なんですね。傘は紙が厚いと色が濃くなり、厚さが一定でないと濃いところと薄いところができて不細工な傘になってしまいます。紙を作る人は熟練工でないといけません。
絹川 ● やはり、紙にもいい紙と悪い紙がありますよね。
松田 ● 長年の経験ですが、紙は50年ほど経つと非常に立派な紙になります。作ってから1、2年の紙は綿のようなもので、あまりいい紙とは言えません。例えば、柿渋は紙に塗るとムラが多くなる難しい色ですが、紙をぞうきんのように揉んで広げて干すと、綺麗な色になります。1、2年しか経っていない紙に柿渋を塗って揉むと、破れて開きませんでした。でも、50年ほど経った紙は、上手にサッと開いて綺麗な色がつきました。不思議なもので、いい職人がすいた紙というのは、痛めれば痛めるほど丈夫になるみたいです。
絹川 ● コシが強くなるということですね。傘の骨の表面に塗っているものも柿渋ですか?
松田 ● 紙が漆を吸うので、柿渋で身固めしています。その上に油を塗って、それから漆を塗ると艶が出て光ります。柿渋を使わないと艶は出ません。また、柿渋は防水と防虫の役目もあります。
絹川 ● 雨が降っても和傘の紙がやぶれないのはなぜでしょうか?
松田 ● 雨が降っても破れないのは、紙に油を塗るからです。油はエゴマ油を使っています。菜種油やゴマ油はいつまでたっても乾かず、油が手についてしまうので、傘作りには使えません。昔の人は、紙を貼った上にエゴマ油を塗って、ガラス代わりに使っていました。それを傘に応用したみたいです。
絹川 ● 竹はどちらの竹を使っていますか?
松田 ● 岐阜に竹職人がいるので、そこから竹をもらっています。戦前は父が使っていた竹を割る鉄の機械があり、自分たちで骨を作っていましたが、その機械も戦争中に供出されました。戦争から帰ってくると機械がないので、戦後から骨は職人に頼むようになりました。骨組みは自分でやります。
絹川 ● 傘の留めなど、細かい部品は全部竹細工でしょうか?
松田 ● 竹で作るのは、骨と柄の部分だけです。傘の留め金は「はじき」という金属を使っています。「ろくろ(傘の柄に付けて、自由に傘を閉じたり開いたりする道具)」は、チシャという木の細工になります。傘を一本作る時は、色んなものが必要になるので、細かい部品などは専門のところに注文して作ってもらいます。
絹川 ● 糊の材料は何ですか?
松田 ● 今はタピオカを炊きだしたものを使っています。昔は蕨を使っていました。根っこを臼でつぶし、たらいのなかで水洗いをして、下に白い澱粉がたまったものをお湯に合わせて糊にするんです。タピオカの糊は腐ってしまいますが、蕨糊は恐ろしく力が強いので、何十年経っても腐りません。今は蕨も高値になり、採ってくる人もいなくなってしまいました。
松田 ● 昔の人の知恵は、ほとんど自然からのものが多くて驚きます。お一人で一から十まで作業されていると、傘を一本仕上げるのに大変時間がかかりますね。
絹川 ● 材料を取り寄せてから、傘が一本できるまでは大体3、4ヶ月かかります。紙を斜めに切って貼るのに一時間ほどかかります。紙を全部貼り終わったら、傘をたたみ、紙の毛羽立ちを糊でひっつけます。それからよく乾かし、柿渋を塗り、油を塗って、漆をかけます。天日で何度も乾かさないといけないので、乾かすだけでとても手間がかかります。

傘紙の大きさは一尺一寸×一尺5寸。傘を一本作るのに傘紙を12枚使う。昔からある型で斜めに切り、骨組みの上から一枚一枚貼り合わせていく

50年経った和紙。色艶があり、紙というよりも布のようなしっかりした手触りだ

和田和傘店
住所:〒921-8023石川県金沢市千日町7-46
電話:076-241-2853
「和傘で広がる出会いを大切に」

100年ほど前からある傘組合の旗や」と誇らしげに広げて見せてくれた松田さん。同業者の人に預かって欲しいと言われ、自然と松田さんの元にやってきたという。海外に行ったときは、この旗の前で和傘作りを実演したこともあるそうだ。ずっと和傘を作り続けてきた松田さんにとって、思い出がたくさんつまった旗だ
絹川 ● 松田さんのところには、全国各地からお客さんが来られるそうですね。
松田 ● 県外の方も含めて、歌舞伎の役者さん、芝居小屋の役者さん、傘を回す芸人さんなど、次第に色んな人が買いに来るようになりました。最近は外国の人も買いに来ます。金沢はありがたいところで、金沢に行くと古いものがあるんじゃないかと、訪れる人も多いです。特殊なものが欲しい人もいらっしゃるので、そのときは図案をもらって作ります。分業で大量に作っているところもありますが、そこではオーダーメイドができないので、うちの店に来るんです。
絹川 ● オリジナルの単品、自分の好みの傘を作れるのも、手作りの和傘ならではの良さだと思います。松田さんは、この仕事をしていてどんなときが一番嬉しいですか?また、今後の夢や抱負などあれば教えて下さい。
松田 ● 品物をお客さんに渡して、お礼を言言われた瞬間ほど嬉しいものはないです。自分が作った傘を気に入ってもらえたら最高です。お客さんに、体に気をつけて仕事を頑張って下さいと励まされて、こんなありがたい商売はないです。毎日がいいことばかりで楽しいですよ。夢は特にありません。ただ、生きている間に自分の習ったことが世間に必要とされれば幸せなことです。
絹川 ● 松田さんには、ずっとお元気でいて頂きたいです。これからも人々に愛される素晴らしい金沢和傘を作り続けて下さい。本日はお忙しいところ、誠にありがとうございました。
